大学受験の日本史を考える

大学受験予備校で日本史講師をしている鈴木和裕です! 大学受験の日本史について思いつくままに書いていきます!

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日本史の学習方法について

2015年センター日本史B本試験の難問分析 ~その2~

 前回に引き続き,2015年のセンター日本史B本試験の難問分析です。

◎内容判定問題について

◆第1問 問3 問題番号3 

問3 下線部(c)に関連して,次の史料に関して述べた下の文X・Yについて,その正誤の組合せとして正しいものを,下の①~④のうちから一つ選べ。

 ※画像は省略

 X このような渡航許可証は,天皇から与えられた。
 Y 史料で示された渡航先は,現在のフィリピンである。

  ① X 正  Y 正  ② X 正  Y 誤
 ★③ X 誤  Y 正  ④ X 誤  Y 誤
 
 センター試験では2文正誤問題のほうが4文の正誤問題より難しくなります。この問題は半分以上の受験生ができなかった問題です。
 Xの正誤を判断できた受験生は多かったようですが,Yの正誤が判断できなかったようです。問題の画像は朱印状で,それを活字にしたものが横にあります。その中の「呂宋国」がフィリピンだとわかれば,正文だと判断できたのですが,わからなかった受験生が多かったようです。山川出版社『詳説日本史』,実教出版『日本史B』では地図も含めて「呂宋国=現フィリピン」と明確にわかる記述はなく,受験生からみると盲点だったかもしれません。「ルソンのマニラ」あるいは「フィリピン諸島のマニラ」という表現はあるんですが…。
 歴史的な地名の知識は重要です。特に近年は近現代の地図の出題で東南アジア方面の都市を判断させる問題もあるので,地図をみて位置を確認しておくことも必要です。


◆第1問 問4 問題番号4

智史:中世にも人の往来は盛んだったよ。たとえば,鎌倉の禅宗寺院などは中国語が飛び交っていたと言われている。南宋や元の僧が渡来し,北条氏の帰依を受けて滞在していた。
愛美: ア とか無学祖元ね。
智史:そうだよ。さらに時代をさかのぼると,平安中・後期の イ には宋の商人が来航して交易に携わっていたんだよ。

問4 空欄 ア   イ に入る語句の組合せとして正しいものを,次の①~④のうちから一つ選べ。

 ★① ア 蘭渓道隆  イ 博多
  ② ア 蘭渓道隆  イ 堺
  ③ ア 桂庵玄樹  イ 博多
  ④ ア 桂庵玄樹  イ 堺

 空欄補充問題ですが,半分ぐらいの受験生しかできていません。②の誤答が圧倒的に多く,博多と堺が区別できていなかったようです。「平安中・後期」に「宋の商人が来航して」とあるので大宰府の外港である博多になります。唐の滅亡後は宋の商船が来航して貿易がおこなわれますが,大宰府に来航して朝廷が統制していました。もしかしたら,大宰府で統制されていたというのを知らなくて,「日宋貿易→平氏政権→大輪田泊の修築」という知識しかなく,「大宰府=博多」というのが想起できなかったのでしょうか。ただ,大輪田泊は摂津で現在の神戸港の近くなので,いずれにせよ,和泉の堺とは関係ありません。問題番号3に続いて地理が弱い受験生が多いことがわかります。


◆第2問 問4 問題番号10

問4 下線部(d)に関連して,奈良時代の灌漑施設に関して述べた下の文X・Yについて,その正誤の組合せとして正しいものを,下の①~④のうちから一つ選べ。

 X 三世一身法では,既存の灌漑施設を利用して開墾した場合,開墾者本人一代に限って墾田の所有が認められた。
 Y 行基は,灌漑施設を整備するなどさまざまな社会事業を行いながら,仏教の教えを広めた。

 ★① X 正  Y 正  ② X 正  Y 誤
  ③ X 誤  Y 正  ④ X 誤  Y 誤

 これはかなり正答率の低い問題でした。2文正誤で解答が「正・正」の組合せになると正答率が低い傾向がありますが,なかでも低い方の問題になります。
 ③の誤答が半数を占めるので,三世一身法の内容を正確に理解していなかった受験生が多いと思われます。受験生が苦手とする社会経済史である上に,やや細かい内容を問うていると考えれば,間違っても仕方がないかと思える問題ではあります。しかし,教科書には丁寧に説明されています。
 社会経済史はしっかり整理しておきましょう。



◆第2問 問6 問題番号12

問6 下線部(f)に関連して,次の史料に関して述べた文として誤っているものを,下の①~④のうちから一つ選べ。
 
  ※史料は省略

 ★① 開発領主寿妙の寄進により,藤原実政が領家となった。
  ② 開発領主寿妙の孫中原高方は,現地を管理する預所となった。
  ③ 実政の曽孫願西は,国衙の干渉を防ぐため,収益の一部を寄進した。
  ④ 実政の曽孫願西の寄進により,高陽院内親王が本家となった。

 この史料は「鹿子木の事」という典型的な寄進地系荘園の例として教科書にも掲載されており,有名な史料ですが意外に正答率が低かったようです。史料を読めば,「寿妙の末流高方の時,…実政卿を持って領家と号し…」とあるので,すぐに誤文とわかりそうですが,半分ぐらいの受験生しかできませんでした。③の誤答が多かったようですが,「国衙の乱妨を防がず」が選択肢の「国衙の干渉を防ぐ」という部分と違うという短絡的な判断をした受験生がいたのでしょうか。
 もう一つ,この問題が出題されたことが意外でした。この史料は研究の世界で現在では否定的にみられている史料で,いずれ教科書から消えるのではないかとも思われていたからです。その理由として,一つには,中世の荘園が寄進によって形成されるのではなく,荘園領主(院や摂関家)の荘園設立(立荘)によって形成すると考えられていることがあります。この史料が典型的な中世の荘園形成とはいえないということです。もう一つは,この史料が鹿子木荘の成立から200年後の鎌倉時代の末期に作成された訴訟の資料であることです。預所が訴訟の際に自身が有利になるように脚色がなされ,開発領主の立場と権限が都合よく強調されています。
 研究の世界で問題視されているものを教科書から消すどころか,センター試験で出題してしまったのですから,教科書からは消せなくなってしまいました。ちなみに個人的にはすでに「寄進地系荘園」とは教えていません。この問題もあくまで「史料読解問題」として出題されたものなので,荘園さえ理解できていればいいでしょう。


◆第3問 問1 問題番号13

 ※史料は省略

問1 空欄 ア ~ ウ に入る語句の組合せとして正しいものを,次の①~④のうちから一つ選べ。

  ① ア 律 令 イ 公 家 ウ どうり(道理)
  ② ア 律 令 イ 武 家 ウ どうり(道理)
  ③ ア どうり(道理) イ 公 家 ウ 律 令
 ★④ ア どうり(道理) イ 武 家 ウ 律 令

 中世でも,古代に続き,教科書掲載史料が出題されました。近年のパターンから考えると,次年度も中世の教科書(特に山川『詳説日本史』)掲載史料には注意が必要でしょう。この史料は御成敗式目の制定を伝える北条泰時の書簡で,式目制定の趣旨がわかるものです。定番の史料ですが,意外に正答率が低く,半分強の受験生しか出来ていません。選択肢分析すると,イで武家と公家を間違えたようです。これは,教科書掲載史料であるうえ,空欄補充問題なので史料を知っておく必要があるとも思いますが,御成敗式目が武家社会の基本法典として制定されたことを考えれば,「武家の人への計らい(=処置)」であったことは分かるはずです。
 教科書史料は「知っている」のを前提に出題(2012年 第2問 『貧窮問答歌』など)される傾向もありますので,教科書をみて史料を確認しておく必要があります。


 (次回に続く)

2015年センター日本史B本試験の難問分析 ~その1~

 久しぶりに,ブログを書き始めた目的である,入試問題の分析をします。
 今年は執筆が多く,手が回りませんでしたが,2015年度のセンター日本史B本試験の難問を分析します。そろそろ,過去問を始めた受験生もいることでしょう。間違った問題を分析する参考にしてください。


◎時期判定問題について

◆第1問 問6 問題番号6

問6 下線部(e)に関連して,古代の人の移動に関して述べた次の文Ⅰ~Ⅲについて,古いものから年代順に正しく配列したものを,下の①~⑥のうちから一つ選べ。

 Ⅰ 滅亡した百済や高句麗から多くの人々が移住した。
 Ⅱ 渤海との間で,外交使節が往来した。
 Ⅲ 朝鮮半島から,五経博士や暦博士・医博士などが交代で派遣された。

 ① Ⅰ-Ⅱ-Ⅲ  ② Ⅰ-Ⅲ-Ⅱ ③ Ⅱ-Ⅰ-Ⅲ
 ④ Ⅱ-Ⅲ-Ⅰ ★⑤ Ⅲ-Ⅰ-Ⅱ ⑥ Ⅲ-Ⅱ-Ⅰ

Ⅲ五経博士の来日…6世紀 古墳時代
Ⅰ百済・高句麗の滅亡…7世紀 飛鳥時代
Ⅱ渤海からの使節往来…8世紀 奈良時代
  
 年代順配列問題で,やや正答率の低い問題でした。
 外交に関する時期の判断ができない受験生が多いようです。やや正答率の低い問題でした。普段の学習から「奈良時代=8世紀の出来事」といった時期の整理をしておかなければ正答は出せません。


◆第2問 問5 問題番号11 

 問5 下線部(e)に関して述べた次の文Ⅰ~Ⅲについて,古いものから年代順に正しく配列したものを,下の①~⑥のうちから一つ選べ。

 Ⅰ 軍団・兵士の廃止にともない,郡司の子弟などが健児に採用された。
 Ⅱ 大宝令の施行を受けて,地方の豪族は郡司として行政にあたった。
 Ⅲ 尾張国の郡司が,百姓とともに国司藤原元命の暴政を訴えた。

 ① Ⅰ-Ⅱ-Ⅲ  ② Ⅰ-Ⅲ-Ⅱ ★③ Ⅱ-Ⅰ-Ⅲ
 ④ Ⅱ-Ⅲ-Ⅰ  ⑤ Ⅲ-Ⅰ-Ⅱ  ⑥ Ⅲ-Ⅱ-Ⅰ

 Ⅱ大宝令の施行…8世紀初 文武天皇 奈良時代
 Ⅰ健児の採用…8世紀末 桓武天皇 平安初期
 Ⅲ受領制…10世紀以降 平安中期以降
  
 それほど正答率が低い問題ではありませんが,年代順配列問題ということで取り上げました。
 社会経済などは「何世紀ごろ」という時期の判断がある程度,必要ですが苦手な受験生が多いようです。「何世紀」「何時代」「権力者」などできるだけ多くの時期判断ができるようにしておきたいところです。
  藤原元命=受領というのがわかっていれば,受領制が確立する平安時代中期=10世紀のできごとだと判断できます。健児の制が桓武天皇(平安初期)の時代であることは基本的な知識です。古代の社会経済の発展については,「何世紀ごろ」という形で整理しておく必要があるでしょう。



◆第4問 問5 問題番号23

問5 下線部(d)に関連して,近世後期の対外問題への幕府の対応に関して述べた次の文Ⅰ~Ⅲについて,古いものから年代順に正しく配列したものを,下の①~⑥のうちから一つ選べ。

 Ⅰ 海防上の必要から,近藤重蔵らに択捉島の探査を行わせた。
 Ⅱ アヘン戦争の情報を受け,外国船に対する薪水給与を命じた。
 Ⅲ ロシアとの間に軍事的緊張が高まるなか,はじめて全蝦夷地を直轄地とした。

 ① Ⅰ-Ⅱ-Ⅲ  ★② Ⅰ-Ⅲ-Ⅱ   ③ Ⅱ-Ⅰ-Ⅲ
 ④ Ⅱ-Ⅲ-Ⅰ   ⑤ Ⅲ-Ⅰ-Ⅱ   ⑥ Ⅲ-Ⅱ-Ⅰ

 Ⅰラクスマン→近藤重蔵 寛政期 18世紀末
 Ⅲ蝦夷地の直轄化 化政期 19世紀初
 Ⅱアヘン戦争 天保期 19世紀半ば

 この設問は,正答率の低い難問でした。やや細かい事項の時期判断を求めていますが,教科書には記述されている内容です。
 江戸時代後期の対外政策が整理できていない受験生が多いと思われます。過去に出題された問題でも,正答率が低い問題があります。ロシア船の来航とその対策(北方探検・蝦夷地直轄化)→イギリス船への対応(異国船打払令)→アヘン戦争による転換(天保の薪水給与令)という展開を理解しておく必要があります。
 江戸時代の後期の外交は,教科書などのまとめ方から考えても,将軍など権力者ごとに知識を整理しておくのは難しいでしょうか。この問題の場合だと,ラクスマン来航(1792)→近藤重蔵の千島探検(1798),レザノフ来航(1804)→全蝦夷地の直轄化,アヘン戦争→天保の薪水給与令(1842)というのがわかっていないと解けないでしょう。
 外交に関する事件と江戸幕府の対応をセットで押さえておく必要があります。

 2015年度は「時期判定問題」に難問が少なかったようですが,例年は難問が多いので注意が必要です。
 次回は内容判定問題の難問を考えてみます。
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