論述問題だけでもよかったのですが,他の設問の解答もあげておきます。解説は論述問題だけです。

Ⅰ 古代から近代の貨幣史
A-6 B-8 C-7 D-2 E-5
F-4 G-3 H-2 I-0 J-8
K-1 L-9 M-5 N-4 O-3
P-7 Q-1 R-5 S-4 T-3

Ⅱ 江戸時代中期の政治・社会・経済・文化
A-6 B-5 C-9 D-4 E-0
F-0 G-5 H-2 I-9 J-1
K-3 L-2 M-8 N-1 O-9
P-7 Q-4 R-2 S-5 T-6

Ⅲ 太平洋戦争後の領土問題
A ポツダム B 奄美諸島C 小笠原諸島  
D 1972E 択捉島F竹島

Ⅳ 古代の都(史料)
問1.大津  問2.天智天皇  問3.壬申の乱
問4.天武天皇  問5.飛鳥浄御原宮
問6.耳成山
問7.藤原京
中国を模倣した都城制を採用し,北部の宮城には政務・儀式の場である大極殿・朝堂院を設置し,条坊制により区画された京には王族や豪族を集住させ,律令国家の象徴とした。(80字)
問8.恭仁京  問9.藤原広嗣の乱

Ⅴ 享保の改革(史料)
問1.徳川吉宗  問2.株仲間  問3.町人請負新田
問4.相対  問5.旗本・御家人  問6.1719年
問7.金銭貸借の訴訟が激増し,訴訟処理が麻痺状態であったため,幕府は訴訟を受理せず,当事者間で解決させた。しかし,物価上昇により困窮していた旗本・御家人の中には,この法令を利用して借金を踏み倒す者もおり混乱したため,訴訟を再び受理することとした。(120字)

【論述問題の解説】
◆Ⅳ-問7
 設問の要求は,(ハ)に歌われた都の全体のプランと性格について説明すること。条件として「大極殿・朝堂院」「集住」「象徴」の指定語句をこの順ですべて用いることが求められています。
 まず,(ハ)で歌われた都は,史料中の「香具山(天香具山)」「畝傍」と,問6の大和三山のヒントから「都」は藤原京とわかります。
 次に藤原京の全体プランと性格を考えてみましょう。
 藤原京は,中国を範とする律令国家建設の一環として,中国の都城制を採用して造営されました。律令の整備が進められる中で,中心となる宮(宮城)には儀式・政務の場として「大極殿・朝堂院」が置かれます。官僚制の整備にともない,実務をとるのが王族や中央豪族で,官僚が「集住」する京が条坊制により区画・整備されました。以上が都の全体プランです。そして,この都は,役所や官僚が集まる場であるとともに,律令国家の「象徴」としての性格を持っていました。
 という解説ができると思いますが,実は山川出版社『詳説日本史』のp34の脚注①に「藤原京は,それまでの一代ごとの大王の宮とは違って,三代の天皇の都となり,宮の周囲には条坊制を持つ京が設けられて,有力な王族や中央豪族がそこに集住させられた。そして国家の重要な政務・儀式の場として,中国にならった瓦葺で礎石建ちの大極殿・朝堂院がつくられるなど,新しい中央集権国家を象徴する宮都となった。」とあって,これの順番を変えて,写したら終わりですね(笑)

◆Ⅴ-問7
 設問の要求は,史料(イ)の法令の趣旨とその推移を説明することです。条件として,史料(ロ)(ハ)を踏まえることと,「借金」「訴訟」「物価」の語を用いることが求められています。
 
 まず(イ)の法令ですが,これは入試でも頻出史料の相対済し令です。少なくとも,史料を見てわからなければいけないでしょう。教科書の内容を参考にすれば法令の趣旨は説明できます。ちなみに教科書には以下の通りに書かれています。

・山川出版社『詳説日本史』p198
「1719(享保4)年に続発する金銀貸借についての争い(金公事)を幕府に訴訟させず,当事者間で解決させるために相対済し令を出した。」
・実教出版『日本史B』p217
「増加するいっぽうであった金公事(金銭貸借についての訴訟)を幕府は受けつけず,当事者同士で解決させ(相対済し令),訴訟事務の軽減をはかった。」

 趣旨は教科書の内容を参考にできますが,推移については,史料(ロ)(ハ)の内容から,考えなければいけません。
 史料(ロ)の史料では,「然し乍ら欲心ヲ以て事を巧み候出入ハ不届きの釈糾明の上,御仕置申し付く」,つまり,幕府が訴訟を受け付けないのをいいことに,「欲心」=悪意を持って事をすすめた者を処分するとしています。この法令で,誰が悪意を持って,何をするのでしょうか?幕府が訴訟を受け付けず,当事者同士で解決しようとした場合に起こる問題は借金の踏み倒しでしょう。この法令により,幕府が訴訟を受け付けないのをいいことに,借金を踏み倒すものが出てきたため,「そういう者は幕府が処分するから訴えなさい」と史料(ロ)では言っているのです。それでは,踏み倒すのはどういう人々でしょうか。当時の状況を考えれば,生活が困窮し,札差(蔵宿)からの借金が増加していた旗本・御家人と推測できます。年貢米を換金し,江戸で消費生活を送る旗本・御家人は,米価安による収入の減少と物価の上昇による支出の増加に苦しんでいました。そのため,この法令を利用して借金を踏み倒す者もいたのです。
 そして,史料(ハ)を見てみましょう。「借金銀・買掛り等出入の儀,前々の如く取上げ裁許仕るべき」と,金銭貸借の訴訟を再び受け付けることにしています。つまり,事実上,相対済し令は廃止したのです。
 史料(ロ)とあわせて考えると,旗本・御家人などが借金を踏み倒し,混乱が生じ,反発が起こったため,相対済し令を廃止したということが推測できるでしょう。
 以上を参考に解答例を見てください。