今回は昭和初期の政党政治の時代の問題です。

◆第6問 問2 問題番号30 ◎立憲民政党内閣について
問2 下線部a(立憲民政党)に関連して,この政党を中心とした内閣が政権を担当していた時期の外交に関して述 べた次の文a~dについて,正しいものの組合せを,下の①~④のうちから一つ選べ。

 a 海軍内部の反対意見をおさえて,ロンドン海軍軍縮条約に調印した。
 b ワシントン海軍軍縮条約に調印して,協調外交の基礎をつくった。
 c 満州事変が起こると,不拡大の方針を決定したが,関東軍による戦線の拡大をおさえられなかった。
 d 満州事変を調査したリットン報告書にもとづく国際連盟の勧告を拒否して,連盟を脱退した。

 ★① a・c     ② a・d      ③ b・c     ④ b・d

 解答は①なのですが,②・③あたりの誤答も多く,どこができなかったということではないようです。ただ,受験生が苦手とする「政党」を軸にした判断が求められます。
 結局は「立憲民政党」内閣が浜口雄幸・第2次若槻礼次郎内閣の2代だと分かれば,aのロンドン海軍軍縮条約が浜口内閣,cの満州事変の勃発が第二次若槻内閣となります。bは立憲政友会の高橋是清内閣,dは斎藤実内閣でのできごとなので誤りです。できない受験生が比較的が多かったのは「政党の整理」が頭の中でできていなかったのでしょう。
 明治の後期から昭和初期にかけては「内閣名+基盤となる勢力」をしっかり押さえておきたい。特に政党の変遷は「2大政党」で考えればよい。

◎自由党系…自由党→憲政党→立憲政友会
◎改進党系…立憲改進党→進歩党→憲政党→憲政本党→立憲国民党→立憲同志会→憲政会→立憲民政党

 整理のヒントだけですが,特に大正時代以降は重要なので,変遷をしっかり覚えておきましょうう。
 政党内閣期の問題は近年も頻出です。以下の問題も,比較的に正答率が低かった問題なので,参考にしてください。

【参考】2009年 本試験 第6問 問題番号30(抜粋) A (前略)
 その後駐米大使としてアメリカに赴任した幣原は,ワシントンで実施された国際会議において全権の一人とし
て出席し,(b)海軍軍縮および中国大陸・太平洋における列強諸国との権益調整に尽力した。

問2 下線部(b)に関して述べた次の文Ⅰ~Ⅲについて,古いものから年代順に正しく配列したものを,以下の①
~⑥のうちから一つ選べ。 30
Ⅰ 国策の手段としての戦争の放棄を約した不戦条約に調印した。
Ⅱ 補助艦の総保有量(トン数)を英・米の約7割とすることに合意した。
Ⅲ 主力艦保有量(トン数)を英・米の5分の3に制限することに合意した。

 ① Ⅰ-Ⅱ-Ⅲ  ② Ⅰ-Ⅲ-Ⅱ  ③ Ⅱ-Ⅰ-Ⅲ
 ④ Ⅱ-Ⅲ-Ⅰ  ⑤ Ⅲ-Ⅰ-Ⅱ  ⑥ Ⅲ-Ⅱ-Ⅰ


【参考】2011年 本試験 第6問 問3 問題番号31
問3 下線部bに関連して,この時期の経済に関して述べた次の文Ⅰ~Ⅲについて,古いものから年代順に正し く配列したものを,下の①~⑥のうちから一つ選べ。

 Ⅰ 浜口雄幸内閣によって金解禁が断行されたが,同じころ世界恐慌が日本にも波及した。
 Ⅱ 片岡直温蔵相の失言をきっかけに,金融恐慌が起こった。
 Ⅲ 関東大震災により,決済不能になったとみなされる震災手形が現れた。

  ① Ⅰ-Ⅱ-Ⅲ   ② Ⅰ-Ⅲ-Ⅱ   ③ Ⅱ-Ⅰ-Ⅲ
  ④ Ⅱ-Ⅲ-Ⅰ   ⑤ Ⅲ-Ⅰ-Ⅱ  ★⑥ Ⅲ-Ⅱ-Ⅰ

 両設問とも,政党内閣に関連する問題の上に,年代順配列問題だったこともあり,正答率が低かったのでしょう。