早稲田大学の政経学部の論述問題の解答例を出します。(問題はこちら)

Ⅴ-B
1960年代には社会党を離れた西尾末広の民主社会党や,公明党が出現し,共産党も議席を増やした。そのため,自民・社会両党の議席の寡占状態は次第に弱まった。1970年代には社会党を離れた田英夫らが社会民主連合を結成し,自民党から新自由クラブが離脱した。
(120字)


[解説]
 設問の要求は,1960年代から1970年代に生じた日本政治における「多党化現象」について120字以内で説明することです。語群から適切なものを用いることが求められています。12の語句がある語群の中から「公明党」「新自由クラブ」「西尾末広」「田英夫」の4つを使います。
 まず「多党化現象」について考えてみましょう。
 1960年代半ばになると,自民党・社会党の両党が議席の大半を占める寡占状態は次第に弱まって多党化の波が押し寄せてきます。自民党が国会の安定多数を占める中,二大政党の議席数減少はまず,社会党に現れます。1959年には,社会党の西尾派などが離党して,1960年に合同して民主社会党が結成されます。初代の委員長は「西尾末広」です。その後,社会市民連合結成に向っていた菅直人らのグループに1976年に社会党を離党した「田英夫」らが合流して,社会民主連合が結成されます。一方で,宗教団体の創価学会は,1955年ごろから政界進出を試み,1964年に「公明党」が結成されます(初代委員長は原島宏治)。1969年の総選挙で公明党は議席を伸ばし,社会党に次ぐ第三党となります。この中で共産党も議席を伸ばします。さらに1976年には,自民党から河野洋平ら「新自由クラブ」が離脱します。
 これらの多党化を担った民社党・公明党は支持層が大都市型である点で,社会党と共産党と共通しており,既存政党との間で支持層獲得競争が生じました。一方,自民党は支持層である第一次産業から第二次産業への人口移動が支持層を切り崩す一因だったと考えられます。こうして1960年代から70年代にかけて政党政治の枠組みは,二党制から多党制への変化を定着させていきます。
 ちなみに教科書のの記述は以下の通りです。

◎山川出版『詳説日本史』
「この間,自由民主党は国会の安定多数を占め続けるが,与党内では総裁の地位をめぐる派閥間抗争がくり返された。野党側では,社会党から民主社会党(のち民社党)が分立(1960年)し,新しく公明党が結成され(1964年),日本共産党が議席をふやすなど,多党化現象が進んだ。(p368)」

◎実教出版『日本史B』
「1960年代から70年代にかけては,自民党の長期政権に対して,野党側は社会党がのび悩んだ。1960年には,民主社会党が結成され④,1964年には創価学会を基盤とする公明党が結成されて急速に勢力をのばし,さらに共産党も70年代にかけて党勢をのばして,野党の多党化現象がすすんだ。
 脚注④1960年1月,社会党の安保闘争を批判する党内右派が,同党からわかれて結成し,1969年,民社党と改称した。(p377)」

 若干,実教出版のほうが詳しいでしょうか。いずれにしても,西尾末広,新自由クラブ,社民連(初代代表田英夫)の記述はありません。山川『日本史B用語集』には,新自由クラブ,社会民主連合も掲載(説明付)されています。
 字数は120字なので,指定語句を使いながら,1960年代の社民党(西尾末広),公明党の結成と共産党の議席増,1970年代の社民連(田英夫)の結成,新自由クラブの離脱が多党化現象として書けていればいいでしょう。教科書の記述から考えると,社民連と新自由クラブは難しいでしょうか。