12月18日・大阪,12月23日・東京の各会場で教育研究セミナーの講師を担当しました。参加した先生方にも熱心に聴いていただき,非常によいセミナーになったと思います。

 今回は「対外関係の理解を深める~近世編~」ということで,16世紀の織豊政権期から19世紀中ごろの開国までを対象範囲として扱い,主要な国公立大学の二次論述問題を念頭にどのように授業をするかを考えてみました。まず「近世編」と言いながら,教科書では「近代」に区分されている「開国」を内容として盛り込みましたが,これは今回の大きなポイントである「鎖国」をどう扱うかというのを考えるには,それと対になる概念である「開国」をどう扱うかを同時に考える必要があったからです。次に国公立二次論述を念頭においたのは,教員のレベルアップのためです。確かに学校や指導するクラスは「センター・私大レベル」だという先生が多いと思います。しかし,日本史を教えるには,論述問題を考えられるレベルの理解は必要であろうと思います。クラスに応じて授業を使い分けるのは当然ですが,「センターや私大クラスしか教えられない」のでは日本史の授業の内容は薄いものになるのではないでしょうか。以上,2つのポイントを念頭に話をしました。
 さらに実際の授業で使用している板書例なども紹介しながら進めていきました。

 以下,今回の内容のまとめをします。

◎「鎖国」について
 勘合貿易断絶後も,中国人倭寇や南蛮貿易など日明間の貿易は盛んであり,特に「豊富に産出する銀を輸出し,中国産の生糸を輸入」していたことを強調し,一方でキリスト教に対する権力者の対応の変化を考えました。その2つを軸に「鎖国」とは何かを考えてみました。まず,日本が東アジアと不可分に結びついていたことがわかります。中国では日本の銀に対する需要が高く,日本では中国産の生糸が必需品でした(他にも甘蔗・薬種などもありますがあえて生糸を強調)。そのため,江戸幕府は中国とつながるための貿易を必要としていました。しかし,一方でキリスト教を警戒しその脅威から身を守るため,当初,黙認していたキリスト教を禁止し,ヨーロッパ諸国との貿易は制限して行きました。その結果,出来上がったのが「鎖国」体制です。「国を鎖す」というよりはむしろ「海外とつながる」ために必要な体制をつくったといえるでしょう。まとめとして,「結果としてできあがったのが鎖国」であることを強調しました。その他,鉱産資源の輸出が国内経済に与えた影響なども考えてみました。

◎「鎖国祖法観」の形成
 山川出版『新日本史』や実教出版『日本史B』には「祖法」という言葉が出てくるので,それについて考えてみました。寛永期の「鎖国」は結果として出来上がった対外関係だとすれば,いつから「鎖国」という観念が出てきて,定着していったのでしょうか。ラクスマン来航の際に通商要求を断るため,松平定信がつくった「通商・通信の国は4カ国に限定」するという口実が,体制を維持しようとする以降の幕府の対外政策の中で「鎖国祖法観」として定着していきました。つまり「鎖国=祖法」というのは松平定信によって作られた伝統であることを強調しました。それを中心に,異国船に対する幕府の対応の変化を含めて整理しました。

◎「開国」について
 以上の「鎖国」を踏まえて,「開国」とは何かを考えてみました。欧米列強の通交・通商要求を拒んで「鎖国(=祖法)」を守り,外患を避けるために沿岸の防備を固めるという対外政策から,欧米列強の要求を受け入れて欧米との国交と貿易に積極的に取り組む「開国」政策へと転換したわけですが,その政策転換がはかられたのは,安政の五カ国条約を締結する1858年ごろであることを指摘しました。

 以上が今回のセミナーの要点です。次回は「対外関係の理解を深める~近現代編~」を予定しております。近現代編はさすがに1回では無理なので2回ぐらいに分けようと思っています。

 懇親会に参加していただいた先生方もありがとうございました。いつもながら有意義(?)な意見交換ができたと思います。