現在,大阪市立美術館で「岸田劉生展」をやっています。日本史講師の割には,あまりその手のものを見に行かない人なのですが(仕事でタイミングが合わないということも多い…),今回は近くでやっていたこともあって観に行きました。

 単純な感想ですが,高校生の教科書や図説資料に載っている最も有名な『麗子像』について,「実物を観ないとダメだ!」と思いました。授業では,正直なところあまりいいことは言っておりませんでした(ここでは書けません…^^;)。しかし,目の前で実物を観ると,なんと「可愛い娘さん」なのでしょう!見とれてしまいました。次から授業で,岸田劉生について「アホなこと」が言えなくなってしまいました。
 注)「アホなこと」と言っても,本音ではありませんよ。あくまで生徒の記憶に残すためのパフォーマンスです。誤解を招くといけないので,一応言い訳を…。

 岸田劉生については,今まで「1922年 春陽会結成 岸田劉生ら」と文化史で教えてきましたが,絵を観ながら,その歴史をたどっていくと,その説明に疑問を感じました。ちなみに山川出版社『詳説日本史B』は,「文展のアカデミズムに対抗する洋画の在野勢力として,二科会や春陽会が創立され,安井曽太郎・梅原竜三郎・岸田劉生らが活躍した。」となっており,明言しておりませんが,参考書やテキスト類は春陽会で岸田劉生を覚えることになっているものが多い気がします。

 実際に岸田劉生の年譜を見てみましょう。(最も有名な作品2つだけ入れます。)
 1891年      6月2日,銀座に生まれる,父は岸田吟香 
 1908年(17歳)  白馬会絵画研究所で黒田清輝に師事
 1910年(19歳)  文展(文部省美術展覧会)で入賞
            ※このころ,『白樺』を購読し,印象派の影響を受ける,武者小路実篤らと親交
 1912年(21歳)  第1回ヒュウザン会(のちにフュウザン会と改称,翌年,解散)
 1915年(24歳)  現代の美術社主催第1回美術展に出品(事実上の草土社第1回展)
            『道路と土手と塀』(重要文化財・東京国立近代美術館)
 1917年(26歳)  第4回二科展に出品し,入賞
 1921年(30歳)  『麗子像』(重要文化財・東京国立博物館)
 1922年(31歳)  春陽会創立,客員として参加
            第9回草土社展以降,草土社は自然消滅
 1924年(33歳)  春陽会会員となる(翌年,同会を去る)
 1929年(38歳)  満州に渡り,帰国後,逝去

 赤を入れたのは,書いてるうちに模擬試験の問題ができそうだなあと思っただけです。(笑)
 注)2009年,一部,立命館で出題されていた。
 ただ,「岸田劉生-春陽会」と覚えるのに違和感はありませんか?
 では,実際の入試問題を調べてみましょう。(続く)