大学受験の日本史を考える

大学受験予備校で日本史講師をしている鈴木和裕です! 大学受験の日本史について思いつくままに書いていきます!

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2014年01月

2014年 センター日本史B(本試験)の解説 ~第6問~

第6問 手塚治虫とその時代
 人物史の復活でしょうか。昨年同様,近代の設問に現代の選択肢で誤文を作るパターンが出題され,現代史は増加傾向にあります。

問1.答① 昭和初期の大衆文化と社会不安 問題番号29
 X・Yともに正文である。Xは教科書の分類による大正から昭和初期の大衆文化に入り,Yは1930年代初の昭和恐慌のことである。リード文から「手塚の幼少期」が生まれた1928年から数年のこと(1928~1930年代初=昭和初期)と考えれば時期が正しいと判断できる。
 ※2007年・本試験・問題番号29・30で,大衆文化としてデパート,洋食(カレーライス)などの関連問題。
 ※2013年・本試験・問題番号32に欠食児童・娘の身売りの出題。

問2.答① 普通選挙を実施した内閣 問題番号30
  下線部bより「当時の内閣」は田中義一内閣とわかる。
 a.正文。田中内閣は,日本共産党の活動を警戒して,治安維持法を改悪した。
 b.誤文。警察予備隊が創設されたのは,アジア太平洋戦争後,朝鮮戦争が契機である。田中内閣で全国に設置されたのは特別高等警察である。
 c.正文。1928年の普通選挙による初めての総選挙では,労働農民党の山本宣治ら無産政党から8名の当選者が出たが,予想されていたよりは少なかった。
 d.誤文。20歳以上ではない。1925年に改正された衆議院議員選挙法では25歳以上の男子に選挙権が与えられた。

問3.答② 第一次世界大戦後の日本の経済 問題番号31
 ②正文。金融恐慌の時のことである。
 ①誤文。田中義一内閣で,モラトリアム(支払猶予令)が出されるなど,金融恐慌は鎮静化した。
 ③誤文。昭和恐慌は,浜口雄幸内閣の時,アメリカの不景気から起こった世界恐慌の影響による。
 ④誤文。旧平価で金解禁を実施したため,円高となり,輸出は停滞した。
  ※2011年・本試験・問題番号31,2002年・本試験・問題番号34で金融恐慌の出題。
  ※2011年・本試験・問題番号31に金解禁の出題。

問4.答③ 戦局の悪化 問題番号32
 東条英機内閣の1941年,真珠湾攻撃などから米英とのアジア太平洋戦争は始まった。当初は緒戦の勝利により,占領地域を拡大したが,1942年のミッドウェー海戦の敗北(Ⅱ)により,戦局は転換した。日本の戦局が悪化する中,連合国側の米・英・中の3国は,1943年,カイロ会談を開き,日本の無条件降伏などを求めるカイロ宣言を発表した(Ⅰ)。その後,戦局の悪化を理由に東条内閣は総辞職し,続く小磯国昭内閣も劣勢を立て直すことができず,終戦処理のため,1945年,鈴木貫太郎内閣が組織された。鈴木内閣は,日本の無条件降伏を求めたポツダム宣言をすぐに受諾せず,アメリカにより広島・長崎に原爆投下された(Ⅲ)。ソ連の参戦がとどめとなり,ポツダム宣言を受諾した。
 ※「ミッドウェー海戦の敗北」は解答ではなかったが,2008年・本試験・問題番号34の空欄補充問題の選択肢として出題されている。

問5,答③ 満州事変以後の軍事産業と経済 問題番号33
 ③誤文。日本労働組合総評議会(総評)は,アジア太平洋戦争後の1950年に成立した組織で,春闘方式を採用した。労働組合の解散は,1940年の大日本産業報国会の設立によるものである。
  山川『詳説日本史』では「労働運動では左派の産別会議の勢力が弱まるなか,1950(昭和25)年,反産別派の組合がGHQの後押しで日本労働組合総評議会(総評)を結成し,運動の主導権をにぎった」とある。
  ※2000年以降,大日本産業報国会も総評も本試験で出題なし。日本史Aでは出題されている。
 ①②③は正文。いずれも満州事変以降の出来事である。

◎近代史の設問に現代史の内容を含めて誤文と判断させる。このパターンは現代史の学習が甘いと,正答を得られない可能性がある。2013年の問題番号31では,「④ バンドン会議で,列強間の平和共存をうたった平和五原則が決議された。」という選択肢が誤文と判断できない受験生が多く,正答率の低い問題となった。このような設問(問題番号30・33)を含めると,現代史は増加傾向と言える。

問6.答② 手塚治虫の回想(史料) 問題番号34
 ア.「昭和21(1946)年1月」「天皇みずから」より,「人間宣言」とわかる。
 イ.「軍国主義者」とあるので,公職追放とわかる。レッド=パージは日本共産党の弾圧である。

問7.答④ 高度経済成長期の経済と社会 問題番号35
 ④誤文。「三種の神器」は白黒テレビ・冷蔵庫・洗濯機である。その後,普及した「3C」は自動車(カー)・クーラー・カラーテレビである。
 ①②③ともに正文。
  ※①IMF8条国は2013年・本試験・問題番号36,2004年・本試験・問題番号32で出題。


問8.答③ 戦後の科学技術と社会問題 問題番号36
 ③正文。
 ①誤文。日本学術会議が設立されたのはヴェトナム戦争後ではない。山川『詳説日本史』には「自然科学の分野では,理論物理学者の湯川秀樹が1949(昭和24)年に日本人ではじめてノーベル賞を受賞した。また同年,あらゆる分野の科学者を代表する機関として日本学術会議が設立された」とある。
 ②誤文。革新自治体(革新首長)は公害規制など社会福祉に成果を上げた。山川『詳説日本史』では,「高度成長のひずみへの住民の反発は,大都市に革新自治体を成立させた。1967(昭和42)年に美濃部亮吉が東京都知事に当選したのをはじめ,1970年代はじめには三大都市圏(東京・京都・大阪)の知事と多くの大都市の市長が,選挙で革新系に占められた(革新首長)。これらの革新自治体は,きびしい公害規制条例の制定や老人医療無料化などの福祉政策に成果をあげた」とある。
  ※2011年・本試験・問題番号35に革新自治体の出題。
 ④誤文。四大公害訴訟は,いずれも被害者側の勝訴に終わった。

 今回でセンター日本史Bの解説は終わりです。次年度以降,センター日本史を受験する人は参考にしてください。正答率がわかったら,次は難問の分析です。

2014年 センター日本史B(本試験)の解説 ~第5問~

第5問 明治期の租税制度
 選択肢単位ではなく,設問単位で条約改正問題が問われました。

問1.答④ (空欄補充) 問題番号25
 ア.「地券」の交付を受けた名義人が土地所有者で納税者とされた。
 イ.明治十四年の政変後,大蔵卿に就任したのは「松方正義」であえる。1880年代は松方正義が経済背策を進めた。

問2.答④ 条約改正問題 問題番号26
 X.ノルマントン号事件の際の外務大臣はbの井上馨である。井上は領事裁判権の撤廃を中心とする条約改正交渉を進めたが政府内外からの批判を受けて失敗した。
 ※2007年・本試験・問題番号25で井上馨の出題(ダミーは陸奥宗光)
 Y.日英通商航海条約の締結により,法権回復に成功したのはdの陸奥宗光である。これは日清戦争の直前であった。
 ※2013年・本試験・問題番号28,2000年・本試験・問題番号30で日英通商航海条約の出題

問3.答① 地租改正について 問題番号27
 a.正文。正文なので数字の判断は不要である。
 b.誤文。収穫量ではない。課税の基準は地価とされた。
 c.正文。山川『詳説日本史』には「農民が共同で利用していた山林・原野などの入会地のうち,その所有権が立証できないものは官有地に編入され…」とある。
 d.誤文。納税方法は物納(米納)から金納に変更された。
  ※2002年・本試験・問題番号26に地租改正についての問題。

問4.答④ 主要な租税収入の推移(表) 問題番号28
 X.誤文。租税収入に占める酒税の比率が初めて地租を超えのは,表より「1900年」である。日露戦争は1904年なので誤りである。日露戦争が「1900年代半ば」という感覚があれば誤文と判断できる。
 Y.誤文。租税収入に占める関税の比率が10%を超えたのは,表より「1900年」である。小村寿太郎外相が関税自主権の完全回復に成功したのは,日露戦争後,明治時代末である。やはり1900年代半ばに日露戦争があったこと,関税自主権の完全回復に成功したのが日露戦争後であることを知っていればできる。
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