原稿などなど忙しく,なかなかブログの更新はできません。
今回は伊藤之雄氏の著書を読んで思うところがありました。「これは授業で話せないなあ…」という感じでしょうか。ということで,ツイッターでつぶやいたものをまとめておきます。

 まず,全般についての感想

伊藤之雄『伊藤博文をめぐる日韓関係』(ミネルヴァ書房)読了。安田浩氏らの批判に対し「史的事実に基づいて争うのではない、感情的ともいえる反発」があり「相手の研究を正確に理解し、事実に基づいて批判する、という研究者としてのモラルの欠如」と反論する。

ただ、批判の方法はともかく、中塚明氏、小川原宏幸氏らが伊藤氏を批判したのはよくわかる。伊藤博文が韓国の植民地化を決意した時期は別として、誠実に韓国の「独立富強」をめざしてたとは思えない…研究においては素人だが、海野氏『韓国併合』(岩波新書)の伊藤博文像の方が納得できる。

 以下,内容で気になった点。

【メモ】伊藤之雄『伊藤博文をめぐる日韓関係』第1・2部。「伊藤をどのように評価するかは、日韓の歴史認識問題を考える上で、最も重要な争点の一つ(pⅱ)」として伊藤博文の韓国統治やその構想について検討。伊藤氏らの編著『伊藤博文と韓国統治』への批判に対する反論という側面が強い。

1.伊藤博文の韓国統治構想「彼の姿勢は併合を目的としたものというより、韓国人の自発的な協力を取り付け、保護国として、日本にとってなるべく安い費用で韓国の近代化を行い、日本次いで韓国の利益を図ろうとする(p47他)」ということがくり返される。これは韓国の「独立富強」を目指したもの。

2.しかし「伊藤にとっての一番の問題は、多くの韓国民が伊藤を信じず、彼の改革を支持しないこと(p69)」で「韓国民が伊藤の統治策を積極的に支持していないことを知り、伊藤は韓国併合を止むを得ないと考える(p80)」ようになった。これが1909年4月ごろ。

3.韓国併合を決意した後も「伊藤は韓国に「責任内閣」と植民地議会を置く形で、ある程度の地方「自治権」を与え(p83)」て、「将来日本の国政に朝鮮人を参加させる準備(p84)」と考えていた。基本的な構想は統監時代と類似。しかし、伊藤暗殺後、山県・寺内らの強硬路線での併合が行われた。

4.伊藤博文の構想について「長期的には韓国人を差別しない統治を考えていた(p78)」「(伊藤死後)実際に展開したのは、伊藤が夢見た日本人と朝鮮人が融和した帝国ではなかった(p161)」など、伊藤は非常に良心的な政治家で、生きていたら韓国併合は日韓の関係に良い影響があったと読める。

5.伊藤博文には伝統的な朝鮮蔑視観はなかったのだろうか。その点については言及されていなかった。統治構想に影響があると思う。また統監時代の伊藤の統治は第三次日韓協約など客観的に見れば「独立富強」を名目として韓国侵略を進めただけなのだが、それは好意的なものと言えるのだろうか。

6.韓国併合について、伊藤博文の構想が理想的だったとすれば、強硬路線をとった山県有朋らか、伊藤を暗殺した安重根が日韓の歴史を変えてしまったとでもいうのだろうか?伊藤博文の統治構想を明らかにすることが、日韓の歴史認識にどう影響を与えるのか、伊藤之雄氏の見解がよくわからない…。

 以上がツイッターでつぶやいた内容です。
 伊藤博文に対する思い入れが強く,素人目にも偏った議論に思えます。仮に伊藤博文が誠実に韓国の「独立自主」を目指していたとしても,実行した政策を客観的に見れば「韓国のため,東アジア発展のため」といえるような内容ではなかったでしょう。まさか「伊藤が生きていたら…」は言わんですよね…。