大学受験の日本史を考える

大学受験予備校で日本史講師をしている鈴木和裕です! 大学受験の日本史について思いつくままに書いていきます!

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2011年10月

岸田劉生展の感想と入試問題 その2

 前回の続きです。岸田劉生はどのように出題されているでしょうか。

(1) 2003年 関西学院大学  F日程 第4問(抜粋)

 …美術では,e二科会やf春陽会』に属す洋画家や,再興されたg日本美術院の日本画家が活躍し,…

〔設 問〕
8.下線部fの中心メンバーであった岸田劉生の作品を下記より選びなさい。
 ア.『麗子像』  イ.『金蓉』   ウ.『紫禁城』   エ.『黒船屋』

(2) 2000年 関西学院大学  文 第5問(抜粋)

B.
イ.「収穫」は明治美術会を結成した浅井忠の作品である。
ロ.「湖畔」は白馬会を結成した黒田清輝の作品である。
ハ.「生々流転」は二科会で活躍した梅原竜三郎の作品である。
ニ.「麗子微笑」は春陽会で活躍した岸田劉生の作品である。

[設 問]
3.内容に誤りのあるものを選びなさい。
4.内容が正しく,かつ最も年代の新しいものを選びなさい。(イ)

 関学は岸田劉生は「春陽会の中心メンバーであった」「春陽会で活躍した」と出題しています。活躍したはいいのでしょうが,中心メンバーはどうか?という感じはします。

(3) 2001年 甲南大学  A日程 文,法 第4問(抜粋)

 …大正前期の洋画界に( 8 )とならんで影響力をもったのが,一連の麗子像」で有名な( 10 )とその結社,草土社であった。一方,外光主義のマンネリズムに陥り弱体化していた文展は,1919年に帝展に改組され,そこに参加した中村彝は「エロシェンコ氏の像」のような肖像画を残している。…
 …1922年に春陽会が結成された。そこには,「北京秋天」「紫禁城」などで有名な( 9 )が加わり,また客員には( 10 )などもいた。…

8-二科会 9-梅原隆三郎 10-岸田劉生 ※実際は記号選択の問題 

 この問題は,岸田劉生を春陽会だけで評価していません。そう言う意味では工夫された問題ではないでしょうか。「結局,『麗子像』と春陽会がヒントだ!」と言われてしまえばその通りですが,良問ではないでしょうか。

(4) 2003年 中央大学  経済 第3問(抜粋)

 …また,( 12 )の日本画部と相いれない層,すなわち「麗子像」を描いた岸田劉生らが1922年に,春陽会を結成し,大きな影響力を残した。… ※12は文展

 これは設問にはなっていないのですが,ひどいと思いませんか?岸田劉生は春陽会を結成したのではないと思うのですが…。ただ,設問になっていないので,問題ミスとは言えませんが,受験生に読ませるリード文としてはお粗末な感じがします。

 いくつかの入試問題をあげてみましたが,入試の中では岸田劉生は春陽会のメンバーとして覚えざるを得ないようです。もちろん,教科書や参考書では,岸田劉生や各画家を詳しく取り上げて美術史を説明することはできないので,やむを得ないとは思います。他の画家の説明なども,僕が知らないだけで,知っている人からすると,教科書や参考書には様々な違和感が残っているのでしょう。僕ももっと勉強しなければいけません。しかし,教える内容を「入試問題での扱い方」を意識して考えると,限られた講義時間の中で,教科書や参考書と違う自分の主張を生徒に伝えにくいのも確かです。結局,違和感があっても,「春陽会,岸田劉生ら」と教えるのが現状です。
 大学側で,上記(3)のような入試問題をもっと出題してほしいと思います。

岸田劉生展の感想と入試問題 その1

 現在,大阪市立美術館で「岸田劉生展」をやっています。日本史講師の割には,あまりその手のものを見に行かない人なのですが(仕事でタイミングが合わないということも多い…),今回は近くでやっていたこともあって観に行きました。

 単純な感想ですが,高校生の教科書や図説資料に載っている最も有名な『麗子像』について,「実物を観ないとダメだ!」と思いました。授業では,正直なところあまりいいことは言っておりませんでした(ここでは書けません…^^;)。しかし,目の前で実物を観ると,なんと「可愛い娘さん」なのでしょう!見とれてしまいました。次から授業で,岸田劉生について「アホなこと」が言えなくなってしまいました。
 注)「アホなこと」と言っても,本音ではありませんよ。あくまで生徒の記憶に残すためのパフォーマンスです。誤解を招くといけないので,一応言い訳を…。

 岸田劉生については,今まで「1922年 春陽会結成 岸田劉生ら」と文化史で教えてきましたが,絵を観ながら,その歴史をたどっていくと,その説明に疑問を感じました。ちなみに山川出版社『詳説日本史B』は,「文展のアカデミズムに対抗する洋画の在野勢力として,二科会や春陽会が創立され,安井曽太郎・梅原竜三郎・岸田劉生らが活躍した。」となっており,明言しておりませんが,参考書やテキスト類は春陽会で岸田劉生を覚えることになっているものが多い気がします。

 実際に岸田劉生の年譜を見てみましょう。(最も有名な作品2つだけ入れます。)
 1891年      6月2日,銀座に生まれる,父は岸田吟香 
 1908年(17歳)  白馬会絵画研究所で黒田清輝に師事
 1910年(19歳)  文展(文部省美術展覧会)で入賞
            ※このころ,『白樺』を購読し,印象派の影響を受ける,武者小路実篤らと親交
 1912年(21歳)  第1回ヒュウザン会(のちにフュウザン会と改称,翌年,解散)
 1915年(24歳)  現代の美術社主催第1回美術展に出品(事実上の草土社第1回展)
            『道路と土手と塀』(重要文化財・東京国立近代美術館)
 1917年(26歳)  第4回二科展に出品し,入賞
 1921年(30歳)  『麗子像』(重要文化財・東京国立博物館)
 1922年(31歳)  春陽会創立,客員として参加
            第9回草土社展以降,草土社は自然消滅
 1924年(33歳)  春陽会会員となる(翌年,同会を去る)
 1929年(38歳)  満州に渡り,帰国後,逝去

 赤を入れたのは,書いてるうちに模擬試験の問題ができそうだなあと思っただけです。(笑)
 注)2009年,一部,立命館で出題されていた。
 ただ,「岸田劉生-春陽会」と覚えるのに違和感はありませんか?
 では,実際の入試問題を調べてみましょう。(続く)
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