大学受験の日本史を考える

大学受験予備校で日本史講師をしている鈴木和裕です! 大学受験の日本史について思いつくままに書いていきます!

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2011年06月

2011年 センター日本史B 本試験 ~設問分析 その3~

 今日は以下の問題の分析です。成績の上位と下位で差がついたと思われる問題です。

◎地図と文章の組合せ問題

◆2011年 日本史B 本試験 第3問 問3 15◆ 

  下線部bに関連して,室町・戦国時代の貿易・外交にかかわる地について述べた次の文X・Yとその所在地を示した地図上の位置a~dとの組合せとして正しいものを,下の①~④のうちから一つ選べ。

  X 勘合貿易の明側の港であったこの地では,大内氏と細川氏との貿易の主導権をめぐる対立が起きた。
  Y この地は倭寇の根拠地と考えられたため,応永の外寇とよばれる攻撃を受けた。
2011年センター問題15小
  
   ① X-a  Y-c    ② X-a Y-d
   ③ X-b  Y-c    ④ X-b Y-d (解答は③)

 この問題は,近年の出題で定番の地図と文章を組み合わせる問題です。文章の内容がわからないと解けません。Xは寧波の乱の説明なので地図から寧波を,Yは応永の外寇で攻撃を受けた対馬を選べばよいのですが,どうも,Xの寧波でaとbを間違えた受験生が多いようです。さすがにcは対馬,dは琉球(那覇)とわかったのでしょう。この地図でaは青島,bが寧波なのですが,中国の地図までは判断できないようです。
 以下も同様の問題です。

◆2006年 日本史B 本試験 第3問 18◆ 
問6 下線部(d)に関連して,東アジアで起こった出来事を述べた次の文X・Yと,地図中に示した場所a~dの組合せとして正しいものを,以下の①~④のうちから一つ選べ。
 X 1523年,大内・細川両氏の派遣した勘合船が争った。
 Y 1543年,ポルトガル人を乗せた中国船が漂着して鉄砲を伝えた。

 ※地図省略 a-寧波 b-釜山 c-鹿児島 d-種子島

 ① X―a Y―c ② X―a Y―d
 ③ X―b Y―c ④ X―b Y―d (解答は②)

 今年度の出題と非常に似ていますね。やはりXの判断で間違った受験生が多かったようです。しかし,今年度は同じ中国の中での判断ですが,2006年度の問題は,中国と朝鮮の判断ですよ!Xには「勘合船」ともあります。中国だとわかればよかっただけなのですが,④を選んだ受験生は意外に多かったのです。
 さすがに日本の地図では間違いが少ないようですが,中国や朝鮮の地図は要注意です普段から図説資料などでマメにチェックしておくことが重要です

2011年 センター日本史B 本試験 ~設問分析 その2~

 今回は,どこで勘違いするのかというのを考えてみたいと思います。知識を入れる段階で勝負は決まっています。

◎年代順配列問題 大きな時代の流れを問う 
 近年のセンター試験は,年代順配列問題が6択になり,大きな流れの理解を求める問題が多くなりました。そういう意味では,年代暗記では攻略できない良問が多くなっています。まず,以下の問題を見てみましょう。

◆2011年 日本史B 本試験 第2問 問6 12◆ 

 下線部eに関連して,寺院と国家の関係に関して述べた次の文Ⅰ~Ⅲについて,古いものから年代順に正しく配列したものを,以下の①~⑥のうちから一つ選べ。

 Ⅰ 開発領主のなかに,国司の圧迫を逃れようとして有力寺院などに田地を寄進する者が現れるようになった。
 Ⅱ 有力寺院が下級僧侶を僧兵に組織し,神木や神輿を押し立てて,自分たちの要求を通すため朝廷に強訴するようになった。
 Ⅲ 有力寺院の初期荘園が,律令的支配の衰えとともに衰退していった。

  ① Ⅰ―Ⅱ―Ⅲ   ② Ⅰ―Ⅲ―Ⅱ    ③ Ⅱ―Ⅰ―Ⅲ
  ④ Ⅱ―Ⅲ―Ⅰ   ⑤ Ⅲ―Ⅰ―Ⅱ    ⑥ Ⅲ―Ⅱ―Ⅰ (解答は⑤)

 これも,今年度は正答率が低かったと思われる問題です。「土地制度だから難しいのだろう!」はやめましょう。それでは問題解決になりません。この問題は,どうも①②の誤答が比較的多かったと思われます。その理由を考えてみましょう。
 ⑤Ⅲ-Ⅰ-Ⅱが解答なのですが,①②を選択して間違った受験生が多いと思われます。選択肢を分析してみると,Ⅰ→Ⅱの順番はわかった受験生が多いようです。ただ,Ⅲの選択肢の位置で迷っていることになります。なぜでしょうか?
 Ⅰの選択肢は,「荘園」という用語は明確になっていませんが,「開発領主」「田地を寄進する」などの表現から11世紀以降に発達する寄進地系荘園の説明だとわかるでしょう。ただ,「開発領主」や「田地」がわかっていなかった場合,Ⅲの選択肢との関係で,混乱した可能性はあります。
 Ⅱの選択肢は,「僧兵」「朝廷に強訴するようになった」という部分から11世紀末以降の院政期だとわかるでしょう。この選択肢の時期を限定するのはそれほど難しくはありません。
 問題はⅢの選択肢です。「初期荘園」という言葉を素直にとれば,Ⅰの寄進地系荘園(とわかるとして)より前の時期だとすぐに判断できると思います。では,誤答を選んだ受験生はどのように勘違いしたのでしょうか。もちろん,推測でしかありませんが,「…律令的支配の衰えとともに衰退していった」を読み違えたのではないでしょうか。Ⅰの選択肢に「寄進地系荘園」の語が無いこともあると思うのですが,Ⅲの選択肢を「荘園の衰退」と読んでしまった受験生は①の選択肢を選ぶ可能性はないでしょうか。また,知識が曖昧な受験生は「律令的支配の衰え」という表現で混乱したのではないでしょうか。

 この問題は初期荘園をどう理解するかが重要ではないかと思います。
 例えば山川出版社の『詳説日本史B』では,「…743(天平15)年には政府は墾田永年私財法を発し,開墾した田地の私有を永年にわたって保障した。この法は,政府の掌握する田地を増加させることにより土地支配の強化をはかる積極的な政策であった…」「とくに東大寺などの大寺院は,広大な原野を独占し,国司や郡司の協力のもとに,…大規模な原野の開墾をおこなった。これを初期荘園という。」とあり,さらに「8~9世紀に生まれた初期荘園は,律令国家の地方支配機構である国郡制に依存して経営されていたので,その多くが10世紀までに衰退していった。」としています。
 つまり,律令支配の下で初期荘園が形成され,律令制の国家機構を通じて経営されたことを理解しておくことが必要です。
 近年のセンター試験らしい,大きな流れを考えさせる問題でした。

 以下の問題も同様のパターンと考えていいでしょう。参考にしてください。

◆2010年 本試験 第2問 問6 12◆
B (前略)
 9世紀以後には,平安宮のあり方にもさまざまな変化が起きた。(e)政治構造の変化とともに,本来は天皇が生活を送る場であった内裏が日常的な政治の場となったことなどは,その代表例である。

問6 下線部(e)に関して述べた次の文Ⅰ~Ⅲについて,古いものから年代順に正しく配列したものを,下の①~ ⑥のうちから一つ選べ。
 
 Ⅰ 天皇が幼少のときには摂政,成人したのちには関白をおくことが通例となった。
 Ⅱ 院の命令を伝える文書や院庁が出す文書が,荘園の認可などの国政に大きな効力をもつようになった。
 Ⅲ 天皇の側近として,天皇の命令をすみやかに太政官に伝える蔵人頭が設けられた。

  ① Ⅰ-Ⅱ-Ⅲ  ② Ⅰ-Ⅲ-Ⅱ  ③ Ⅱ-Ⅰ-Ⅲ
  ④ Ⅱ-Ⅲ-Ⅰ  ⑤ Ⅲ-Ⅰ-Ⅱ  ⑥ Ⅲ-Ⅱ-Ⅰ (解答は⑤)







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