大学受験の日本史を考える

大学受験予備校で日本史講師をしている鈴木和裕です! 大学受験の日本史について思いつくままに書いていきます!

ご意見・質問などはこちらまで
kazumha64@yahoo.co.jp

2015年センター日本史B本試験の難問分析 ~その3~

 2015年センター日本史B本試験の難問分析の続きです。


◆第3問 問3 問題番号15

問3 下線部(b)に関連して,中世の京都に関して述べた下の文X・Yについて,その正誤の組合せとして正しいものを,下の①~④のうちから一つ選べ。

 X 鎌倉時代の京都では,同業者の団体である座が結成されていた。
 Y 京都で起きた天文法華の乱では,一向一揆が延暦寺により攻撃された。

  ① X 正  Y 正 ★② X 正  Y 誤
  ③ X 誤  Y 正  ④ X 誤  Y 誤

 これは3分の1強の受験生しかできていない難問でした。やはり2文正誤問題です。④に誤答が偏っていますが,ある程度③①を選んだ受験生も少なくありません。Xを誤文と考えた受験生が半数近くになりますが,これは座の結成が鎌倉時代ではなく,室町時代という勘違いでしょうか。山川出版社『詳説日本史』では,鎌倉時代の「社会の変動」という項目で「京都や奈良の商工業者たちは,すでに平安時代の後期頃から,大寺社や天皇家に属して販売や製造についての特権を認められていたが,やがて同業者の団体である座を結成するようになった。」とあります。Xの選択肢はこの表現を短くしたものです。
 やはり教科書を丁寧に読んでおくことが重要だといえます。


◆第3問 問5 問題番号17

問5 下線部(c)に関して述べた文として正しいものを,次の①~④のうちから一つ選べ。

 ★① この戦乱を朝鮮側では壬辰・丁酉倭乱とよんでいる。
  ② 日本軍は,慶長の役で漢城(現ソウル)を占領した。
  ③ 当時の中国王朝であった清は,朝鮮に援軍を派遣した。
  ④ 朝鮮水軍を率いる李成桂は,日本側の補給路を断った。

 朝鮮侵略についての問題ですが,やや些末な内容を問うているでしょうか。半分程度の受験生しかできていません。③清→明,④李成桂→李舜臣の誤りははっきりしていますが,①②は知識のない受験生は判断ができなかったでしょう。教科書では,地図で②の選択肢が判断できます。①について,山川出版社『詳説日本史』では脚注,実教出版『日本史B』には記述がありません。山川出版社『日本史用語集』では教科書頻度⑤/⑧です。
  教科書に掲載されている地図にも目配りをしておきたいところです。


◆第4問 問3 問題番号21

問3 下線部(c)に関連して,近世の東北諸藩に関して述べた下の文X・Yについて,その正誤の組合せとして正しいものを,下の①~④のうちから一つ選べ。

 X 仙台藩主伊達政宗は,メキシコと直接貿易を開くために,家臣をスペイン(イスパニア)に派遣した。
 Y 倹約を励行し,特産物の生産を奨励した藩主に,秋田藩主佐竹義和がいる。

★① X 正  Y 正  ② X 正  Y 誤
  ③ X 誤  Y 正  ④ X 誤  Y 誤

 今年度は2文正誤が難しかったようで,またもや「正・正」です。半分以下の受験生しかできていませんでした。誤答が②③で偏っているところをみると,わかっていなくて,適当に解答した受験生が多いのではないかという気がします。適当にマークするなら①④は避けるでしょうから。歴史用語が伊達政宗・佐竹義和と藩主の名前しかなく,具体的な内容が想起できなかったからでしょうか。特にYは判断しにくかったかもしれません。歴史用語がない抽象的な選択肢は「正」の確立が高いのですが。確かに選択肢をみると難問であった感じがします。


◆第5問 問1 問題番号25

明治初期にはいくつかの立法に関わる機関が設置されたが,その構成員は政府に任命された人々であり,権限も政府の諮問に答える程度の限定されたものでしかなかった。そのような機関の一つに太政官制の下で設けられた ア がある。また,1875年には, イ にもとづき元老院が設置された。(後略)

問1 空欄 ア   イ に入る語句の組合せとして正しいものを,次の①~④のうちから一つ選べ。

  ① ア 枢密院  イ 立志社建白
  ② ア 枢密院  イ 漸次立憲政体樹立の詔
  ③ ア 左 院  イ 立志社建白
★④ ア 左 院  イ 漸次立憲政体樹立の詔

 これも半分程度の受験生しかできませんでした。②に誤答が偏っているので,アの左院と枢密院の判断ができない受験生が多かったようです。左院はやや細かい内容かもしれませんが,枢密院は基礎用語です。憲法制定過程において憲法草案の審議をしたうえ,その後は天皇の諮問機関であった組織です。少なくとも,太政官制下の組織でないことは判断しなければいけません。左院の知識が曖昧だとすれば,時期を判断する問題と考えてもいいかもしれません。時期の違いから消去法で解答できるでしょう。


◆第6問 問5 問題番号29

問5 下線部(a)に関連して,大正から昭和初期の社会運動やそれへの対応について述べた文として正しいものを,次の①~④のうちから一つ選べ。

  ① 日本初のメーデーは,集会条例により中止された。
  ② 頻発する小作争議を取り締まるため,戒厳令が発せられた。
  ③ 関東大震災の混乱のなかで,無政府主義者の北一輝が憲兵に殺された。
 ★④ 思想取締りのため,特別高等警察(特高)が全国に設置された。

 半分強の受験生ができていました。誤答は偏っていません。受験生が苦手とする社会運動の問題であったことで,正答率が下がったのでしょう。2013年の問題番号33の以下の問題も正答率が低かったことを考えると,高得点を狙う受験生の盲点となっている出題といえます。
 近現代の社会運動は頻出ですが,正答率が低い問題が多いので,しっかり復習しておきましょう。

●2013年 センター日本史B本試験 問題番号33
問5 下線部(d)に関して述べた文として正しいものを,次の①~④のうちから一つ選べ。 
 ① キリスト教徒の内村鑑三が,神社参拝を拒否して大学教授の職を追われた。
 ② 人民戦線の結成をはかったとして,経済学者の滝川幸辰らが検挙された。
 ③ 社会主義者の北村透谷が,弾圧や投獄の結果,国家主義者に転向した。
★④ 実証的な古代史研究を進めた津田左右吉の著作が,発禁処分をうけた。

 (次回に続く)

2015年センター日本史B本試験の難問分析 ~その2~

 前回に引き続き,2015年のセンター日本史B本試験の難問分析です。

◎内容判定問題について

◆第1問 問3 問題番号3 

問3 下線部(c)に関連して,次の史料に関して述べた下の文X・Yについて,その正誤の組合せとして正しいものを,下の①~④のうちから一つ選べ。

 ※画像は省略

 X このような渡航許可証は,天皇から与えられた。
 Y 史料で示された渡航先は,現在のフィリピンである。

  ① X 正  Y 正  ② X 正  Y 誤
 ★③ X 誤  Y 正  ④ X 誤  Y 誤
 
 センター試験では2文正誤問題のほうが4文の正誤問題より難しくなります。この問題は半分以上の受験生ができなかった問題です。
 Xの正誤を判断できた受験生は多かったようですが,Yの正誤が判断できなかったようです。問題の画像は朱印状で,それを活字にしたものが横にあります。その中の「呂宋国」がフィリピンだとわかれば,正文だと判断できたのですが,わからなかった受験生が多かったようです。山川出版社『詳説日本史』,実教出版『日本史B』では地図も含めて「呂宋国=現フィリピン」と明確にわかる記述はなく,受験生からみると盲点だったかもしれません。「ルソンのマニラ」あるいは「フィリピン諸島のマニラ」という表現はあるんですが…。
 歴史的な地名の知識は重要です。特に近年は近現代の地図の出題で東南アジア方面の都市を判断させる問題もあるので,地図をみて位置を確認しておくことも必要です。


◆第1問 問4 問題番号4

智史:中世にも人の往来は盛んだったよ。たとえば,鎌倉の禅宗寺院などは中国語が飛び交っていたと言われている。南宋や元の僧が渡来し,北条氏の帰依を受けて滞在していた。
愛美: ア とか無学祖元ね。
智史:そうだよ。さらに時代をさかのぼると,平安中・後期の イ には宋の商人が来航して交易に携わっていたんだよ。

問4 空欄 ア   イ に入る語句の組合せとして正しいものを,次の①~④のうちから一つ選べ。

 ★① ア 蘭渓道隆  イ 博多
  ② ア 蘭渓道隆  イ 堺
  ③ ア 桂庵玄樹  イ 博多
  ④ ア 桂庵玄樹  イ 堺

 空欄補充問題ですが,半分ぐらいの受験生しかできていません。②の誤答が圧倒的に多く,博多と堺が区別できていなかったようです。「平安中・後期」に「宋の商人が来航して」とあるので大宰府の外港である博多になります。唐の滅亡後は宋の商船が来航して貿易がおこなわれますが,大宰府に来航して朝廷が統制していました。もしかしたら,大宰府で統制されていたというのを知らなくて,「日宋貿易→平氏政権→大輪田泊の修築」という知識しかなく,「大宰府=博多」というのが想起できなかったのでしょうか。ただ,大輪田泊は摂津で現在の神戸港の近くなので,いずれにせよ,和泉の堺とは関係ありません。問題番号3に続いて地理が弱い受験生が多いことがわかります。


◆第2問 問4 問題番号10

問4 下線部(d)に関連して,奈良時代の灌漑施設に関して述べた下の文X・Yについて,その正誤の組合せとして正しいものを,下の①~④のうちから一つ選べ。

 X 三世一身法では,既存の灌漑施設を利用して開墾した場合,開墾者本人一代に限って墾田の所有が認められた。
 Y 行基は,灌漑施設を整備するなどさまざまな社会事業を行いながら,仏教の教えを広めた。

 ★① X 正  Y 正  ② X 正  Y 誤
  ③ X 誤  Y 正  ④ X 誤  Y 誤

 これはかなり正答率の低い問題でした。2文正誤で解答が「正・正」の組合せになると正答率が低い傾向がありますが,なかでも低い方の問題になります。
 ③の誤答が半数を占めるので,三世一身法の内容を正確に理解していなかった受験生が多いと思われます。受験生が苦手とする社会経済史である上に,やや細かい内容を問うていると考えれば,間違っても仕方がないかと思える問題ではあります。しかし,教科書には丁寧に説明されています。
 社会経済史はしっかり整理しておきましょう。



◆第2問 問6 問題番号12

問6 下線部(f)に関連して,次の史料に関して述べた文として誤っているものを,下の①~④のうちから一つ選べ。
 
  ※史料は省略

 ★① 開発領主寿妙の寄進により,藤原実政が領家となった。
  ② 開発領主寿妙の孫中原高方は,現地を管理する預所となった。
  ③ 実政の曽孫願西は,国衙の干渉を防ぐため,収益の一部を寄進した。
  ④ 実政の曽孫願西の寄進により,高陽院内親王が本家となった。

 この史料は「鹿子木の事」という典型的な寄進地系荘園の例として教科書にも掲載されており,有名な史料ですが意外に正答率が低かったようです。史料を読めば,「寿妙の末流高方の時,…実政卿を持って領家と号し…」とあるので,すぐに誤文とわかりそうですが,半分ぐらいの受験生しかできませんでした。③の誤答が多かったようですが,「国衙の乱妨を防がず」が選択肢の「国衙の干渉を防ぐ」という部分と違うという短絡的な判断をした受験生がいたのでしょうか。
 もう一つ,この問題が出題されたことが意外でした。この史料は研究の世界で現在では否定的にみられている史料で,いずれ教科書から消えるのではないかとも思われていたからです。その理由として,一つには,中世の荘園が寄進によって形成されるのではなく,荘園領主(院や摂関家)の荘園設立(立荘)によって形成すると考えられていることがあります。この史料が典型的な中世の荘園形成とはいえないということです。もう一つは,この史料が鹿子木荘の成立から200年後の鎌倉時代の末期に作成された訴訟の資料であることです。預所が訴訟の際に自身が有利になるように脚色がなされ,開発領主の立場と権限が都合よく強調されています。
 研究の世界で問題視されているものを教科書から消すどころか,センター試験で出題してしまったのですから,教科書からは消せなくなってしまいました。ちなみに個人的にはすでに「寄進地系荘園」とは教えていません。この問題もあくまで「史料読解問題」として出題されたものなので,荘園さえ理解できていればいいでしょう。


◆第3問 問1 問題番号13

 ※史料は省略

問1 空欄 ア ~ ウ に入る語句の組合せとして正しいものを,次の①~④のうちから一つ選べ。

  ① ア 律 令 イ 公 家 ウ どうり(道理)
  ② ア 律 令 イ 武 家 ウ どうり(道理)
  ③ ア どうり(道理) イ 公 家 ウ 律 令
 ★④ ア どうり(道理) イ 武 家 ウ 律 令

 中世でも,古代に続き,教科書掲載史料が出題されました。近年のパターンから考えると,次年度も中世の教科書(特に山川『詳説日本史』)掲載史料には注意が必要でしょう。この史料は御成敗式目の制定を伝える北条泰時の書簡で,式目制定の趣旨がわかるものです。定番の史料ですが,意外に正答率が低く,半分強の受験生しか出来ていません。選択肢分析すると,イで武家と公家を間違えたようです。これは,教科書掲載史料であるうえ,空欄補充問題なので史料を知っておく必要があるとも思いますが,御成敗式目が武家社会の基本法典として制定されたことを考えれば,「武家の人への計らい(=処置)」であったことは分かるはずです。
 教科書史料は「知っている」のを前提に出題(2012年 第2問 『貧窮問答歌』など)される傾向もありますので,教科書をみて史料を確認しておく必要があります。


 (次回に続く)
livedoor プロフィール
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

  • ライブドアブログ